晴天の下を歩くだけではなく、常に新しいチャレンジを。

大人のラブストーリーを描く漫画家・イラストレーターとして、唯一無二の作品を制作するわたせせいぞう氏。サラリーマンと漫画家、二足のわらじを履きながらスタートした画業が2024年で50周年を迎えられた今、漫画家・イラストレーターとしてのこれまでとこれからについてお話を伺いました。

SEIZO WATASEわたせ せいぞう
1945年兵庫県神戸市生まれ、北九州小倉育ち。小倉高校卒業。早稲田大学法学部卒業後、サラリーマン生活を送りながら漫画の制作を始める。1974年『ビッグコミック』の第13回コミック賞入選を皮切りに、1983年より代表作『ハートカクテル』、日本の美しい風物の中で暮らす夫婦の愛の物語『菜』など、大人のラブストーリーを描き続けている。また、官公庁広報用ポスターおよび企業広告用イラストを数多く制作し、国内外で展覧会を開催するなど、イラストレーターとしても好評を博している。北九州市漫画ミュージアム/名誉館長、立命館大学/客員教授。

ストーリーは瓶が導いてくれた。

わたせさんには、2017年に『4711ポーチュガル』の広告を作画いただきました。
短編漫画では、カップルが遠く離れてしまうストーリーが印象的でした。

実はポーチュガルの瓶が好きで、事務所の化粧室に30年間置いています。この瓶のデザインが好きなんです。だから、まずはポーチュガルの瓶を描けるということがうれしかったですね。ストーリーは、瓶がモチベーションになって作り出してくれました。

ポーチュガルの瓶を30年間も飾っていただき、とても光栄です。
ストーリーを考える際、どんなことを考えられましたか?

この作品のストーリーは、すぐに浮かびましたね。瓶のせいです(笑)。
ポーチュガルの瓶の形や歴史を感じるデザイン、色合いがストーリーを導いてくれました。風景にはイタリアの景色を選びました。イタリアの街並みや民族が好きなんです。

試行錯誤を繰り返して、マンネリ化させない。

普段作画される際は、どんな順番で制作されるのでしょうか?

一番時間がかかるのは「何を描くか」ですね。あれでもないこれでもないと悩みながら、A案、B案、C案と試行錯誤を繰り返していくんです。案が決まったら、今度は素材を集めます。こういう風景がいいかな、車はどれがいいかな、とじっくり考えます。制作工程全体で考えると、半分は考える時間にあてていますね。

いつ頃から今の制作スタイルになられましたか?

30年くらい前からですかね。『ハートカクテル』を描き始めたときからずっと同じスタイルです。僕の場合は、アナログとデジタルを融合させながら作品を仕上げています。ただ、常に少しずつ新しいことにチャレンジしていて、漫画でも一コマ一コマが単独でイラストレーションになるよう考えるなど、マンネリ化しない作品づくりを心がけています。

人生の転機は、
永井路子さんと園山俊二さんとの出会い。

漫画やイラストを描き始めた頃は、どんな作品を描かれていたのでしょうか?

もともと小さい頃から絵が大好きで、学生時代には文化祭の絵や舞台で使用する絵を描いていました。高校生になると文章が好きになり小説家を目指しましたが、大学卒業後はご縁があり保険会社に就職しました。それでも、小説家になることを諦められなかった自分がいて...ひょんなことから直木賞作家の永井路子さんに15分だけお会いできることになり、「何か見せないと…」と考えた末、小説ではなく猫を擬人化した漫画を描いてお見せしたんです。すると、永井さんに「あなたは漫画家になりたいんだ?」と言われ、思わず「はい。」と返事をしてしまったことが、漫画家・イラストレーターとしてのスタートでした。

猫を擬人化した漫画がスタートだったんですね。

その後、永井さんが出版社を紹介してくださり、編集者の方とお会いすることになって。そこから、編集者の方が漫画家の園山俊二さんを紹介してくださり、5回ほどご自宅へ伺い、漫画のイロハを教えていただきました。漫画を描きながら電話をとるほどお忙しくされていた園山さんの姿が、今でも記憶に残っています。最後に、園山さんから「わたせくんは今、昆虫とか猫の擬人化のギャクを描いているけど、男と女を描きなさい。」と言われました。なぜそのようにおっしゃったのかは今でも分からないのですが、園山さんのこの一言がきっかけで今の作風になりました。

40歳での、決断。

サラリーマンとして働きながら画業を続けられていた時期もあったと伺いました。
漫画やイラストを本業にすると決意されたタイミングはいつだったのでしょうか?

40歳のとき、サラリーマンとして働いていた保険会社で企画部への辞令をもらったタイミングで、漫画家・イラストレーターとして生きていくことを決断しました。当時は営業の仕事をしており、保険会社での仕事も好きだったのでとても悩みましたね。駆け出しの頃、永井さんからは「サラリーマンの年収の6倍稼げるようになったらやめ時」と言われていましたし…。実際、6倍の稼ぎにはなっていなかったのですが、最後は家族の後押しがあり、独立に踏み切りました。

決断にはご家族の存在も大きかったんですね。

そうですね。あとは、未来の自分からの後押しもありました。辞令をもらったとき、当時40歳の僕は、45歳の自分と50歳の自分を想像したんです。すると、その2人が悩んでいる僕に「なぜあのとき、会社を辞めて漫画家にならなかったの?後悔するよ。」と言っているような気がして。家族の後押しもありましたし、この一言が決め手でマイナスな未来は考えず、前だけ向いていましたね。

常に、新しいことに挑戦する。

制作をされるなかで大切にされていることはありますか?

これも園山さんから言われたのですが、「いつまでも暗中模索だよ。」という言葉を今でも大切にしています。当時はピンときていませんでしたが、今はとても納得しています。晴天の下を歩いているだけではダメだと思っているので、常にチャレンジしていきたいです。あとは、「常に日々、新たに。」ということも意識していますね。毎日朝起きたら、昨日よりも今日、今日よりも明日と、常に新しいことに取り組み、暗中模索する毎日です。

前向きな暗中模索ということですね。昔から前向きなタイプだったのでしょうか?

「新しいことにチャレンジする」という考え方は、サラリーマン時代から持っていましたね。今でもモチベーションが下がることはほとんどありません。とにかく、マイナスなことは考えずに、次のことや未来のことを考えています。サラリーマン時代、保険会社だったので短期計画と長期計画を立てる癖がついており、それが未来に目を向けるという考え方に活きているのかもしれません。

純粋に楽しみ、知恵を絞る。

サラリーマン時代のご経験が今に活きているんですね。

そうですね。あとは、絵を描くことを純粋に楽しんでいます。サラリーマン時代は月曜から金曜まで会社で仕事をして、土日で絵を描くという生活をしていたので、毎日絵を描けたらどんなにいいんだろう…と思っていました。今では毎日絵を描けるので、それ自体が大きなモチベーションになっています。

今までにない、挑戦を。

最後に、今後挑戦していきたいことを教えてください。

中国の色彩を使って、絵を描きたいと考えています。僕は色彩の旅をしていて、ウエストコーストから始まり、ヨーロッパ、日本ときて、一番描いていないのが中国なんです。中国の色は独特でさまざまな難しさもあるのですが、大人向けの男女のストーリーを中国の色でチャレンジしてみたいですね。もう一つは、ミュージカル作品のストーリーを作ってみたいです。舞台監督として、ミュージカルの美術をやったことがあったり、普段ミュージカルを観に行ったりもするので、実現できたらうれしいですね。

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